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祖父母の想い


     一

 夕飯ゆうめしを済ませたあと、男衆おとこしゅうは銭湯へ行った。はな火熨斗ひのしに炭火を入れようとしていたが、トミに銭湯へ行くようにうながされた。
 千鶴ちづは昼前に学校から戻ったことについて、病み上がりで具合が悪かったからと花江に話した。しかし、それが本当の理由でないのは花江はわかっていたはずだ。千鶴をねぎらって、それ以上突っ込みはしなかったが、やはり千鶴のことは気になるみたいだ。
 使用人がみんな外に出されることにも何かを思ったらしく、花江は家を出るまで心配そうな目を千鶴に向けていた。
 花江がいなくなると、トミは茶の間の障子しょうじを閉め切った。部屋の中にいるのは甚右衛門じんえもんとトミ、そしてさちと千鶴の四人だけだ。

「改めてくが、千鶴、おまいは学校をやめるんか?」
 甚右衛門にただされると、千鶴はうなずいた。甚右衛門はわかったと言った。
「おまいがやめる言うんを無理さっちには行かせられまい。学校の方には、明日あひたにでも連絡を入れようわい」
「すんません」
 頭を下げる千鶴に甚右衛門は言った。
「別に気にせいでええ。おまいに婿取るんなら、学校はやめさすつもりじゃったけん」
 穏やかに話す甚右衛門に、横から幸子が口を挟んだ。
「ほんでも婿の話はのうなったし、この子は教師になろ思て、これまでがんばりよったのに、なしてこげな形で学校をやめないけんのですか」
 幸子はいきどおっていた。忠之ただゆき山﨑機織やまさききしょくに来なくなった今、忠之と一緒になるために一人前のはんになるようにと、千鶴を促したのは幸子である。なのにそれがだめになった腹立ちが、幸子の言葉に表れていた。
 千鶴に何があったのかを幸子が知ったのは、病院の仕事から戻ったあとだった。夕飯の少し前に事情を聞かされたばかりで、幸子は食事中からずっと腹を立てていた。
 そんな幸子とは対照的に、トミは落ち着いた様子で言った。
「世間はな、いっつもかっつも踏みつける相手を探しよるんよ。どがぁな形であれ、目立つもんは目のかたきにされるもんぞな。やけんいうて、踏みつけられたままでおることはない。そげな連中を見返してやるぐらい、立派な人間になったらええんぞな」
 甚右衛門はうなずくと、千鶴にたずねた。
「学校ではこの件について、どがぁするつもりなんぞ?」
「うちにはわからんぞなもし。ただ先生には、うちは誰のことも怒っとらんし、みんなのことは許したて言いました」
 千鶴の返事に幸子はあきれた顔になった。
「あんた、こがぁな目にわされたのに、怒っとらんて先生に言うたんか」
「もう済んだ話ぞな。文句言うてもせんないことよ。ほれより千鶴は立派じゃったな。ほんだけ悔しい思いをしたのに相手を許すなんぞ、誰にでもでけることやない」
 甚右衛門が千鶴をねぎらうと、トミも千鶴を褒めた。
「ほうよほうよ。おじいちゃんの言うとおりぞな。あんたは立派じゃった」
 何故、祖父母が自分に優しい言葉をかけるのか、千鶴にはわからなかった。特に祖母は千鶴のために泣いてくれた。千鶴は今こそ理由をはっきり知りたいと思った。
「おじいちゃんもおばあちゃんも、なして、うちに優しい言葉をかけてくんさるん? うち、お婿さんもらう話も断ったし、せっかく行かせてもろた学校もこげなことになってしもた。ほんまじゃったら怒鳴られるとこやのに、なしてそげな優しい言葉をかけてくんさるんぞなもし?」
 千鶴が訊ねると、甚右衛門とトミはまどった顔を見交わした。
「うち、お父さんがロシアの兵隊じゃけん、みんなから白い目で見られよるし、おじいちゃんらにも嫌われとるて思いよりました。ほれやのに、ここんとこ二人ともうちに優しゅうしてくんさるし、今日かて怒りもせん。なしてぞなもし?」
 二人はまだ返事をしない。それでも千鶴が待っていると、トミが甚右衛門に目で何かを促した。覚悟を決めた様子の甚右衛門は、ようやく口を開いた。
「おまいの言うことはもっともぞな。わしらはお前にずっと冷たい態度を見せよったけんな」
 続けて甚右衛門は、幸子にも目をりながら話し始めた。
正清まさきよの戦死の知らせが来た時、わしらは目の前が真っ暗になった。これから何を目標に生きていったらええんか、わからんなってしもた。戦争に勝ったとしても、息子が死んでしもたら意味ないけんな。ほじゃけん正直なとこ、日本が捕虜にしたロシア兵に手厚くしよるんを、わしらは腹立たしゅう思いよった。そこへ追い打ちをかけるようにな、幸子がロシア兵の血を引くお前をはらんだんよ」
 当時の話は、千鶴は母からおおよそのことを聞いている。どこにも居場所がなくなった母は、大きく膨らみだしたおなかを抱えて家を飛び出し、当てもなく彷徨さまよっているところをねん和尚に助けられたのである。
 母が世話を受けた法生寺ほうしょうじがあるのは風寄かぜよせだ。家のごたごたがかすりおりたちに知れるのを恐れた祖父は、母が子供を産むのを認めて家に呼び戻したという。それは母から聞かされていた話と同じだ。
 おまいには悪いけんど――と甚右衛門は千鶴に前置きをしてから、あの時は幸子が千鶴を産んだことが恥ずかしく、針のむしろに座らされているみたいだったと言った。実際に陰口を言われたり笑われたりしたそうで、面と向かって恥知らずとののしられもしたらしい。
 そんな話を聞かされるのは、千鶴にはつらかった。つい下を向くと、ほやけどなと甚右衛門は言った。
「わしは思い出したんよ。昔、わしの祖父上、つまり、わしのじいさんが話してくんさったことをな」
 顔を上げた千鶴に、甚右衛門はにこやかに言った。
「こないだ言うたように、わしは元は武家の生まれでな。祖父上はお前からすれば、ひぃひぃじいさんじゃな。ひぃひぃじいさんはお侍じゃったんよ」

     二

 甚右衛門の父親は下級武士で、名をしげ甚三郎じんざぶろうという。
 めいになって、苦しい家計がますます苦しくなると、甚右衛門は十二歳の時に山﨑家へ養子に出されることになった。
 甚右衛門は家を出る前に、寝たきりになっていた祖父ぜんろうに別れの挨拶をした。
 善二郎はしゃべるのが不自由だったが、甚右衛門が養子に出されることを惜しみ、自分もかつて養女をもらうはずだったと、れつが回らない舌で甚右衛門に語った。
 明治になる少し前、親友から相談を受けたのだと善二郎は言った。身分違いの娘を一人息子の嫁にしたいので、その娘を養女にしてもらいたいと親友に頼まれたそうだ。
 身分をおもんじる侍は、身分の低い者とはそのままでは夫婦になれない。そのため身分の低い娘を嫁に迎える時には、その娘を一旦いったん武家の養女にすることで、身分の体裁を整えたという。
「祖父上の親友の名前は誰じゃったか忘れてしもたが、風寄かぜよせの代官じゃったそうな。その息子の嫁になるんは、法生寺ほうしょうじにおった身寄りのない娘でな。おまいついで異国のぃが流れておったんじゃと」
 なんということだろう。前世の自分が法生寺で暮らしていた話を、祖父が語ってくれている。千鶴は鳥肌が立つ思いがした。
「おまいが聞いた話では、法生寺におった娘はがんごじゃいうことやが、事実はさにあらずよ。ほの娘はな、異国のぃを引いとったんよ。ほじゃけん、お前がその娘にぃとったとしても、なんの不思議もないわけよ」
 千鶴を慰めるように喋ったあと、甚右衛門は話を戻した。
「祖父上がほの娘を養女にすることに、周りはみんな反対じゃった。けんど親友の頼みじゃけんな。祖父上はほれをすんなり引き受けんさったんよ」
 だが実際にその娘を養女に迎えようとしていた矢先、親友の代官とその息子は殺され、その娘も行方知れずになったと甚右衛門は言った。
「親友から娘の話を聞かされておいでた祖父上は、ほの娘をびんに思いんさってな。せめてその娘の面倒だけでも見てやりたかったと言うとりんさった。その話をわしは思い出したんよ」
 甚右衛門が語ったことを、トミはわかっていたらしい。黙って横でうなずいている。しかし、初めての話だった幸子は驚いた顔を見せた。
「おまいを腹に抱えた幸子が世話になったんも、おんなし法生寺やけんな。わしはお前と祖父上が言いんさった娘に縁があるように思えてな。ほれでお前が産まれたことを、実家に報告しに行ったんよ」
「ほれはいつの話ぞなもし?」
 幸子がたずねると、千鶴が生まれて間もない頃だと甚右衛門は言った。
「わしは向こうの家を出る時に、山﨑家に入ったら重見家のことは忘れて、山﨑家のために生涯を尽くせと言われてな。ほれまで、ほのとおりに生きてきた。ほじゃけん、ほれが家を出てから初めての里帰りじゃった」

 甚右衛門が重見家を訪ねると、兄のぜん兵衛べえが顔を出した。善兵衛は県庁勤めをしていたが、この日は休みで家にいた。
 久しぶりの弟との再会に善兵衛はたいそう喜んだという。ところが甚右衛門の用向きを知ると、態度をひょうへんさせて甚右衛門を追い返そうとした。甚右衛門同様、善兵衛もにち戦争で息子を失っていたのだ。
 そこへ善兵衛の妻が来て、甚右衛門を奥へ通すようにという、父甚三郎の言葉を善兵衛に伝えた。それで善兵衛は渋々甚右衛門を中へ入れ、甚三郎に会わせた。
 祖父の善二郎はすでに亡くなっており、甚三郎は甚右衛門が家を出た時の善二郎のように寝たきりになっていた。
 甚右衛門と二人きりにするよう善兵衛に申しつけた甚三郎は、異国の血を引く女の赤ん坊が産まれたという報告を、甚右衛門から聞いた。
 甚三郎は善二郎が語った娘の話を知っており、産まれた赤ん坊が女の子で名前が千鶴だとわかると、大変驚いて半身はんしんを起こしたそうだ。
「父上はの、わしにこがぁおっしゃった。祖父上が養女にするおつもりじゃた娘も、千に鶴と書いた千鶴という名じゃったとな」
 もう間違いない。自分は法生寺にいた娘の生まれ変わりで、忠之は進之丞しんのじょうの生まれ変わりなのだ。興奮を抑えきれない千鶴と、驚きを隠せない幸子に甚右衛門は言った。
「これもなんかの縁、産まれた子供は必ず大切にせよと、父上は言いんさった。ほれは父上の言葉じゃったが、わしには祖父上が言うておいでるようにも聞こえた。ほれにわし自身、千鶴とその娘に深い縁があると思たけん、父上の言葉どおりにしよと決めたんよ」
 甚右衛門は千鶴を大切に育てると約束し、実家をあとにした。
 家に戻った甚右衛門がそのむねをトミに告げると、トミもその指示に従うことに同意した。それは話を聞いたトミ自身が、千鶴と法生寺にいたという娘に縁があると感じたからだった。
「ほれまでのわしらは、おまいのことを敵兵の娘じゃと思いよった。じゃが、ほん時からお前は敵兵の娘やのうて、祖父上が養女に迎えようとしんさった娘の生まれ変わりとなった。わしは祖父上の想いを引き継ぎ、お前を孫娘として大切に育てることにしたんよ」
 甚右衛門の言葉を引き取って、今度はトミが喋った。
「不思議なもんで、受け入れるて決めたら、憎らしかったはずのあんたがなんとも愛らしゅう思えてなぁ。つい顔がほころびそうになったり、優しい声をかけとなってしもたもんよ。こげなことじゃったら、最初からこの子を認めてやったらよかったて、この人と言うたもんじゃった」
「ほんでも、手のひらかやしたみたいなことは、わしらにはできなんだ。ほれまで幸子やおまいを邪険にしよったけん、おんなしにするしかなかったんよ。ほれに、おまいが法生寺におった娘の生まれ変わりやなんて言うたら、かえって気味悪がられるけんの。表向きにはロシア兵の娘として扱わざるを得んかったんよ」
 甚右衛門は悔やんだように目線を落とした。トミも悲しそうに気持ちをした。
「ほんまはあんたをどんだけ抱いてやりたいて思たことか。あんたにきついこと言うて悲しそうな顔された時は、もう胸が張り裂けそうじゃった。ほんでも今度のことは、あまりにもあんたが不憫でな。つい、ほんまの気持ちが出てしもたんよ」
 祖母の涙の理由をやっと理解できて、千鶴は胸がいっぱいになった。幸子も驚きを隠せないまま涙ぐんでいる。

「おまいに優しゅうできんでも、お前を立派に育ててみせるとわしらは心にちこた。お前が外へ出る時に表から出させたんは、お前はわしらの孫娘じゃと世間に認めさせるためじゃった。お前が学校でいじめられたて聞いた時は、あとで学校へ怒鳴り込んだもんよ」
 甚右衛門が本音を語ると、トミも負けじと喋った。
「あんたが買いもん先で馬鹿にされた時はな、うちが行って店のあるじおおげんしたもんじゃった。ほれで店のもんを壊したりもしてな。あとできっちり弁償させられたで」
 トミの話に、幸子は思わずという感じで笑った。
「そがぁいうたら、ほんなことがあったわいねぇ。あん時は、なしてお母さんがお店のもん壊しんさったんか、さっぱりわからんかったけんど、そげな理由わけやったんじゃね」
 もう本心を見せたからか、甚右衛門もトミも穏やかな笑顔で話を続けた。
「おまいには厳しゅうしよったけん、せめてお前の寝顔が見とうてな。こっちの部屋で寝かそかとばあさんと言うたこともあったが、そげなことしたらぃが緩もう? ほれに、お前がまだこんまいうちはぎりぎりまで寝かせてやりたかったけんな。ほれで今の部屋においたんやが、ほんまはこっちに呼びたかったし、お前と喋ったりお前の遊び相手がしたかった」
「あんたが夜泣きした時にはな、何泣かせとるんねて幸子に文句言いもって、顔見に行ったんよ。ほじゃけん、あんたが夜泣きしたら浮き浮きしよったで」
 真相を知らされた幸子は、口を尖らせて文句を言った。
「ほんなん最初から言うといてや。うちはまたお母さんにしかられるて、びくびくしよったんで」
 悪かったぞなとトミが笑いながらびると、幸子もすぐに笑顔になった。
「ほやけど、ほうやったんか。お母さん、あん時はそがぁな気持ちやったんじゃね。ほういうたら、お母さんの後ろにお父さんがついて来たこともあったわいね」
 腹を立てたふりをしながら孫の顔を見に来る祖父母の様子が、千鶴の目に思い浮かんだ。温かいものが胸に広がり、それは涙となった。
 甚右衛門は照れ笑いをしながら言った。
「おまいにはいずれ店を持たせるつもりじゃったが、はんの免許があるおかみの方がはくがつく思てな。ほれで先にじょ師範学校へ行かせたんよ」
「そがぁしたら誰もあんたを馬鹿にでけんようになるけんな。ほんでも、ほんまのことをあんたらにいつ言おうかて思いよるうちに、ずるずると今日になってしもた。ていさい気にするんも疲れたし、あんたらに申し訳ないけん、よ言いたかったんやけんど……」
 トミが涙ぐむと、甚右衛門は千鶴たちに向かって両手を突いた。
「使用人にはおまいを大切にするよう言うてきたんやが、わしら自身がおまいや幸子にこれまで嫌な想いをさせてきた。そのことはほんまに悪かった思とる。いまさらなけんど、このとおりぞな。勘弁したってくれ」
 甚右衛門が二人に頭を下げると、かんにんしたってやと、トミも頭を下げた。
 千鶴と幸子は慌てて二人に頭を上げさせたが、千鶴は祖父母の気持ちがうれしかった。また、祖父母もつらかったのだと知って涙がこぼれた。幸子も泣きながら笑っている。

     三

 今度は千鶴が、甚右衛門とトミに向かって両手を突いた。
「おじいちゃんとおばあちゃんのお気持ち、ようわかりました。うち、自分がどんだけ恵まれとったんか、ちっとも知らなんだ。今までのこと、ほんまにありがとうございました」
 千鶴が二人に頭を下げると、幸子も娘を認めてもらえた礼を述べた。甚右衛門とトミはあんの顔で微笑み合った。しかし頭を上げた千鶴は、甚右衛門に厳しい目を向けた。
「ほんでも、うち、おじいちゃんに言わないけんことがあるぞなもし」
「あの男のことか?」
 甚右衛門は少し当惑した様子だ。千鶴がうなずくと、言うてみぃと甚右衛門は言った。
「うちは、おじいちゃんが情の厚いお人やと知りました。ほれに、人から受けた恩を忘れんお人やと思とります。ほやけど、えきさんに対して見せんさった態度は、おじいちゃんのまことの姿やありません。佐伯さんのこと、福の神やて言うておいでたのに、恩をあだで返すようなことしんさるんはひょうどういうお人とついぞなもし」
「おまいが言うことはわかる。わしにしてもつらい判断じゃった」
 甚右衛門は千鶴に理解を示してうなずいた。けれど、千鶴は祖父を容赦しなかった。
「失礼なけんど、おじいちゃんはちごとるぞなもし。うちがみんなに白い目で見られてつらい想いしよったん、おじいちゃん、わかっておいでたんでしょ? うちにひどいことした人のこと怒ってくんさったのに、なしてほの人らとついのことを、おじいちゃんがしんさるんぞな?」
 甚右衛門は黙っている。幸子は千鶴をたしなめようとしたが、千鶴は構わず続けた。
「おじいちゃん、佐伯さんが山陰やまかげもんやて兵頭さんから聞きんさったんでしょ? 山陰の者て呼ばれよる人らが、どがぁな人なんか聞きんさったけん、佐伯さんのことを遠ざけんさったんでしょ?」
「ほうよ。山陰のもんを入れたら、この家に傷がつく」
 甚右衛門は当然という顔で言った。平気で差別をする祖父に千鶴は悲しくなった。
「うちはロシア兵の娘ぞなもし。いくら風寄かぜよせにおった娘の生まれ変わりでも、うちがロシア兵の娘なんは変わらんぞなもし。山陰のもんが入ったらこの家に傷がつく言いんさるんなら、うちこそここにはおられんぞなもし」
「ほれは……」
 甚右衛門の顔にあせりが見えた。
「ロシア兵の娘であるうちを励ましてくんさるんなら、山陰のもんて言われて苦労ぎりしておいでる佐伯さんのことも、励ましてあげるんがほんまやないんですか? おじいちゃん、佐伯さんがどがぁなお人なんか、ご自分の目で見てわかっておいでるでしょ?」
 甚右衛門はむぅとうめいたが、まだ忠之を認めるとは言わない。
「佐伯さんが小学校出とらんけん読み書き算盤そろばんができるわけないて、おじいちゃんは言いんさったけんど、法生寺ほうしょうじの和尚さんが奥さんと一緒に佐伯さんに読み書き算盤を教えんさったて、うちに言いんさった。和尚さん、佐伯さんは物覚えがはようて、がいに頭のええ子じゃったて言うとりんさったんよ。学校へ行かせてもらえとったら、もっともっといろんなことを学べたはずやのにて、和尚さんはおっしゃりんさったぞな」
 甚右衛門はまだ口を開かない。隣でトミがおろおろしている。
「どがぁしてもおじいちゃんが佐伯さんを認めてくんさらんのなら、うちが佐伯さんとこへ行くしかありません」
 甚右衛門はじろりと千鶴を見ると、ようやく口を開いた。
「ほれは、わしをおどしとるんか?」
「脅しとるんやありません。うちのほんまの気持ちを口にしたぎりぞなもし。うちはあのお人と離れたままでは生きていかれません。あのお人がここへおいでんのなら、こちらから行くしかないですけん」

「あんた……」
 トミが不安げに甚右衛門を見た。甚右衛門は少しうろたえを見せたあと目を閉じた。しばしの間、甚右衛門はむずかしい顔をしていたが、やがて目を開けると下を向いて大きく息を吐いた。それからトミを一瞥いちべつすると千鶴に言った。
「わかった。おまいの言うとおりぞな。わしがちごとった」
 意外にも甚右衛門は素直に千鶴の言い分を認め、気まずそうに頭をいた。
「本音言うたら、ほんまにこれでええんかいう想いが、わしにもあったんよ。ほじゃけん、お前に言われてぇ覚めたかい」
「おじいちゃん……」
 ほっとしたのとうれしいのとで千鶴は泣きそうになった。トミや幸子にも驚いた顔をされて、甚右衛門は照れ笑いを見せた。
「おまいにしても佐伯くんにしても、なんや、わしは自分が試されとる気がすらい」
「試されとるて?」
 トミがたずねると、甚右衛門は言った。
「何がほんまに大切なんかを見極めるいうことよ。わしは武家じゃった実家を出て、商家しょうかであるここの婿になった。己の家が武家じゃったことは、ほん時に全部てたつもりじゃったが、自分はほんまは侍なんじゃいう未練が残っとったかい。人に上も下もないのにくだらんことよな。佐伯くんには、まっこと申し訳ないことをしてしもたわい」
 甚右衛門は悔やんだように口を結んだあと、千鶴を見て言った。
「ほれにしても、おまいがそこまで心かれるとこ見ると、ひょっとして佐伯くんは風寄の代官の息子の生まれ変わりなんかもしれんな」
 千鶴はどきっとした。祖父の言葉は千鶴の考えに太鼓判を押してくれたみたいだ。
 自分は本当に法生寺にいた娘の生まれ変わりなのだと、千鶴は告白したい想いに駆られていた。でも、まずは忠之に会って直接前世のことを確かめるのが先だ。

「佐伯くんには早速さっそく手紙でびを入れて、またここへ来てもらおわい。千鶴、佐伯くんが住んどるとこは知っとるか?」
 甚右衛門はすぐにでも手紙を書くつもりのようだ。けれど、忠之の家がどこにあるのかを千鶴は知らない。千鶴が首を振ると、それなら法生寺の和尚に頼んで手紙を届けてもらおうと甚右衛門は言った。しかし、それにはトミが反対した。
「手紙で詫びるぎりじゃったら相手に失礼ぞな。こっちで頼んだ話を一方的になしにしたんじゃけんね」
「そがぁなこと言うても、誰が風寄まで行くんぞ? わしはここを離れられんし、わし以外のもんが詫びに行ったとこで詫びになるまい」
 けんしわを寄せる甚右衛門に、千鶴は言った。
「うちが行くぞなもし」
「おまいが?」
 甚右衛門は驚いた顔で千鶴を見た。千鶴がうなずくと、いけんと即座に言った。
「おまいを行かせるわけにはいけん」
「なしてぞな? おじいちゃんやなかったら、うち以外にこのお役目を果たせるもんはおらんぞなもし」
「ほんでも、いけんもんはいけん」
「なしていけんの? ちゃんと説明しておくんなもし。おじいちゃん、風寄のお祭りには行かせてくんさったのに、なして今度はいけんの?」
 甚右衛門は困ったように、トミと顔を見交わした。
「ねぇ、なしてなん?」
 千鶴が強い口調で繰り返すと、甚右衛門は言った。
がんごぞな」
がんご? やっぱしおじいちゃんも鬼のこと気にしておいでるん?」
 鬼がいるのは事実だが、鬼が悪者扱いされるのには反発したくなる。
 いきどおる千鶴にトミが言った。
「落ち着きなさいや。おじいちゃんががんごを気にするんは理由わけがあるんよ」
理由わけ?」
 千鶴は祖父母の顔を見比べた。幸子も黙って二人の話を待っている。
「さっき、法生寺の娘を養女にする話をしたろ?」
 気乗りしない様子で甚右衛門が言った。千鶴がうなずくと、甚右衛門は話を続けた。
「ほん時に、代官とその息子が殺されたて言うたわいな」
 千鶴はもう一度うなずいた。甚右衛門は少し間を置いてから言った。
「伝えられとる話では、風寄の代官は異人の娘を息子の嫁にしようとして、攘夷じょうい侍に殺されたことになっとる。やが、ほんまはほうやないんよ」
「じゃあ、ほんまは?」
 幸子が待ちきれずに訊ねた。
 甚右衛門は一つ呼吸をしてから言った。
がんごに殺されたんよ」

     四

 目を見開いた幸子の顔には、驚きと恐怖が入り混じっている。
 もちろん千鶴も驚いた。だけど、あの鬼がそんなことをするはずがない。代官は進之丞の父なのだ。
「なして、そがぁ言えるんぞなもし?」
 千鶴の責めるような問いに、甚右衛門は淡々と答えた。
「祖父上が代官の遺骸をご自分の目で確かめんさって、そがぁ言いんさったんよ。祖父上は養女にする娘に会うために風寄かぜよせを訪ねんさったんやが、ほん時に代官と何名かのお付きのもんらが文字通り八つ裂きにされておったんを見んさったそうな。ほれで、あれは人間にでけることやないて、わしに言いんさったんよ」
「ほんまにがんごがおったんですか?」
 信じられない様子で幸子がたずねると、ほうらしいと甚右衛門はうなずいた。
「村にがんごを見たもんがおったそうでな。がんごは身のたけじょうはあろうかというでかさでな。浜辺で侍連中と争うとったそうな」
 鬼を見たというのはヨネの父親のことだろう。それはともかく、千鶴は人間が八つ裂きにされた姿など想像できないし、したくなかった。ましてや代官の八つ裂きなんて、そんな恐ろしく理不尽なことを鬼がしたとは信じられる話ではない。
 千鶴は少しあせって言った。
「じゃあ、なして伝わっとる話では攘夷じょうい侍に殺されたて言われとるんぞな?」
がんごを見たもんがおったけん、初めは代官らは鬼に殺されたいう話になっとったそうなんやが、代官には鬼に殺される理由がなかろ? ほれで代官の息子の嫁になるはずじゃった娘が、鬼と関係しとるんやないかとうわさが立ったんよ」
「噂?」
「実は娘はがんごの仲間じゃったという噂ぞな。じゃが、ほれは娘を嫁にしようとした代官や代官の息子をおとしめることになろ? 祖父上は娘が異人のぃを引いとるぎりじゃと知っておいでたけんの。ほのことを祖父上は証言し、娘や代官らをはずかしめるような噂は許せんと上に訴えんさったんよ。ほれで村では鬼の話をするんは厳禁となってな。代官らは攘夷侍らに殺されたいうことになったわけよ」
「ほんでもひぃひぃおじいちゃんは、お代官をあやめたんはがんごじゃと思いんさったと」
「ほういうことよ」
 ヨネ以外の村人たちが鬼の話を知らなかったのは、そういうことだったのかと千鶴は納得した。また、ヨネの父親も流言りゅうげんを広めたかどで痛い目にわされたのだろう。それで幼いヨネに鬼の話はするなと命じたのだ。けれど、それでは鬼が代官を殺したと認めることになってしまう。千鶴の心は大きく動揺していた。

がんごが浜辺で争うたお侍いうんは、お代官のお付きの方らですか?」
 幸子が訊ねると、ほうやないと甚右衛門は言った。
がんごと争うたんは、今言うた攘夷侍よ。連中は法生寺ほうしょうじの娘をおそたんじゃろ。ほれで鬼と戦うことになったんよ」
「なしてその娘さんをおそたら、がんごが出て来るんぞなもし?」
「千鶴の話じゃ、元々その娘は村のもんがんごの娘じゃと思われとったらしいけんな。事実は異人の娘であっても、鬼がその娘を仲間と思い込んだんかもしれまい」
「じゃあ、お代官らががんごに殺されたんはなしてぞなもし?」
がんごが娘を連れ去ろうとしたら、代官はどがぁする? その娘は大切な一人息子の嫁になるおなぞ? 鬼にとっては代官は邪魔者よ」
 幸子は言葉が返せなかった。千鶴もまた祖父の鋭い洞察力にうろたえた。それでも自分を護ってくれている鬼が、進之丞の父親を八つ裂きにしたとはやはり信じられない。

「祖父上は子供をからかうお人やなかったけんな。この話を聞かされた時は、わしも心底しんそこ怖いと思た。というても、山﨑家に入ってからはこの話は忘れよった。実家へ千鶴の話をしに行った時、がんごに気をつけよと父上に言われたが、ほれからも何事もなかったけんな。ほれでまた、鬼のことは頭から消えとった」
 言い訳をするかのごとくにしゃべる甚右衛門を、横目で見ながらトミが言った。
「うちがこの話を聞かされたんは、千鶴が風寄の祭りからんたあとじゃった。あのイノシシの話が新聞に載った時ぞな。ほれまでなんも聞かされとらんかったけん、初めに知っとったら、絶対千鶴を風寄には行かせなんだ」
「そがぁ言うな。わしも忘れよった言いよろが」
 むすっとする甚右衛門を、トミはさらに責めた。
「そげな肝心なこと忘れてどがぁするんね。千鶴が連れ去られとったら、忘れよったじゃ済まんかったがね」
「忘れよったもん仕方しゃあなかろが」
仕方しゃあなかろがやないわね」
「お父さんもお母さんも、今はそげなこと言いうとる場合やないぞなもし」
 幸子がなだめると、甚右衛門はせき払いをして話を続けた。
「新聞でイノシシの記事見つけた時、わしは嫌な予感がしよった。そこへ今度の兵頭の家の話よ。ほれで、もしや思いよったとこに、千鶴からさっきの話を聞かされたんぞな。そがぁなこと全部合わせよったら、がんごよけのほこらがめげたために封じられよった鬼が現れたと見るんが筋じゃろ。しかも、その鬼は千鶴にぇつけたんやもしれんのぞ。ほじゃけん、千鶴を風寄に行かせるわけにはいくまいが」
 鬼はすでにそばにいる。だけど、鬼は千鶴の幸せを見守ってくれているだけなのだ。
 その話を千鶴は伝えたかったが、話したところで信じてもらえるとは思えなかった。逆に、やはり鬼に取りかれていると見られるのが落ちだろう。

「ほやけど、なしてこの子ががんごぇつけられないけんのです?」
 不安と腹立ちが混じった顔で幸子は不服を述べた。我が娘が鬼に狙われるという話が、どうしても受け入れられないのだろう。甚右衛門は片眉を上げると幸子に言った。
「言うたろが? 法生寺におった娘と千鶴がぃとるけんよ。名前もついで、どっちゃも異人の娘ぞ。千鶴の話じゃ、なみむらの村長んとこのひぃばあさんが、千鶴をほの娘と見間違えたそうやないか。ほれぐらい二人はぃとるいうことよ。ほれに、ほんまに千鶴がその娘の生まれ変わりであるんなら、なおのことがんごに狙われよう?」
 幸子はおびえた顔で千鶴を見た。甚右衛門もちらりと千鶴を見てから話を続けた。
「法生寺におった娘が結局どがぁなったんかはわからんが、千鶴がほの娘の生まれ変わりであるなら、ほの娘はがんごから逃れようとして死んだんかもしれまい。ほのあと鬼は祠で封じられ、祠がめげて再びこの世によみがえったとこで千鶴を見つけたんぞ。ほじゃけん、千鶴を風寄へ行かせるわけにはいくまい。行かせたら今度こそ鬼に連れ去られてしまわい」
 甚右衛門は威厳を持って千鶴と幸子を見た。幸子は何も言い返せずにろうばいしているが、千鶴は黙っているわけにはいかない。

     五

がんごはそがぁなことはせんけん!」
 千鶴が叫ぶと、みんなが驚いた目を千鶴に向けた。千鶴は慌てて声の調子を落とすと、もう一度同じことを言った。
がんごはそがぁなことはせんけん」
「なして、そげに言えるんぞ?」
「ほやかて、がんごなんも悪さしとらんぞな。鬼がうちをさらうつもりじゃったら、うの昔にさろとるけん」
「前ん時は、まだおまいが誰なんか、ようわからんかったんかもしれまいが」
 鬼はすでに自分のことを知っているし、知った上でイノシシから助けてくれたと、喉元まで出かかっていた。だが、千鶴はそれを必死でみ込んだ。
なんもしよらんがんごを、鬼いうぎりで悪さするて決めつけるんは、ロシア人の娘とか山陰やまかげもんけがれとるて決めつけるんとついぞな」
 無理な言い草であるのはわかっているが、千鶴は必死に訴えた。しかし、忠之をかばったようにはいかない。鬼はわざわいの象徴であり、人間にとって悪そのものだ。
 話にならないと思ったのか、甚右衛門がいらだった様子で口をつぐむと、幸子が甚右衛門をかばった。
「おじいちゃんは、あんたを心配しておいでるぎりじゃろがね。そげな屁理屈言うたらいけん」
「ほやかて……」
 千鶴も黙ってしまうと、トミが助け船を出してくれた。
「この子はほんだけあの子にいたいんよ。いずれにしても、誰ぞが向こうへ行っておびをせにゃいくまい? というても、誰でもええわけやない。確かにがんごは気になるけんど、あんたが行かれんのなら、この子に行ってもらうしかないぞな」
「何よもだ言うんぞ。おまいかてがんごのことがわかっとったら、千鶴を風寄には行かせなんだと言うたろが」
 声を荒らげる甚右衛門に、トミは穏やかに言った。
「ほれはほうじゃけんど、このまんまにはできまい? ほれに、風寄のかすりがどがぁなるんか確かめにゃならんし、兵頭さんとこかてお見舞いを届けにゃいくまい?」
 甚右衛門は返事をしなかった。トミは困った目を千鶴に向けて、もう一度甚右衛門に言った。
「あんたがなんと言おうと、この子は行く言うたら行くぞな。こないだは法生寺ほうしょうじの和尚さんが引き止めてくんさったけんど、今度は誰も止めてくれんで。どうせ行くじゃったら、勝手に行かせるんやのうて、できる限りのことをした上で行かせてやった方がええとうちは思うけんど、どがぁね?」
 甚右衛門は仏頂面のまま何も言わない。根比べのごとくに他の者も黙っている。部屋には重苦しい沈黙が漂うばかりだ。

「できる限りのこととはなんぞ?」
 ついに甚右衛門が不機嫌そうに口を開くと、待ってましたとばかりにトミがしゃべった。
「まず阿沼美あぬみ神社でおはらいしてもろて御守りもらうんよ。ほれから幸子を同伴させるんよ。この子一人で行かせたら、また誰ぞに襲われるかもしれんけんな。悪い人間はがんごより怖いけん。ほれで向こうに着いたら、法生寺の和尚さんにお願いして、ずっと一緒におってもらおわい。ほれじゃったら、鬼も簡単にはこの子に手出しできまい?」
 さらに幸子が言葉を添えた。
「ほれに明るいうちじゃったら、がんごも出て来にくいんやなかろか。イノシシが殺されたんも、兵頭さんのお家がめがされたんも、日が暮れてからの話やけんね」 
 甚右衛門がまた黙りこんだので、トミは涙ぐみながら語気を強めた。
「まだわからんのかな、この人は。学校に行けんなったこの子の唯一生きる力になってくれるんが、あの佐伯いう子じゃろがね。あの子をこのまま呼び戻せなんだら、千鶴はほんまに死ぬるぞな」
 自分のためにここまで言ってくれる祖母に、千鶴は涙が出た。
「おじいちゃん、お願いぞなもし。うちを行かせておくんなもし」
 千鶴が懇願すると、幸子も言った。
「お父さん、うちからもお願いします。うちもこの子をしっかり護ってみせるけん」
 甚右衛門はしばらく黙って下を向いていたが、わかったわいと力なく言った。
「わしの代わりに千鶴を行かせよわい。ただし、ほれには条件がある」
「条件?」
 いぶかしがるトミに、甚右衛門は千鶴を見ながら言った。
「阿沼美神社ぎりやのうて、雲祥寺うんしょうじでもとうしてもろて御守りをもらうこと」
 トミはあんした様子で千鶴や幸子と微笑み合った。
「まだあらい」
 甚右衛門の言葉に、千鶴たちは姿勢を正した。
「千鶴。万が一、がんごがおまいを連れ去ろうとしたなら、じいさんの許しがないと行かれんと言うんぞ」
「おじいちゃん……」
 甚右衛門は優しげに千鶴を見つめて言った。
「そがぁ言うたら、がんごはここへ現れよう。ほん時は、わしが鬼を退治しちゃる」
「あんた……」
 甚右衛門の覚悟に、トミは涙ぐんだ。
「大丈夫ぞな。絶対にそげなことにはならんけん」
 幸子が泣きそうな笑顔で言った。
「おじいちゃん、だんだん」
 鬼と戦われては困るが、千鶴は祖父の気持ちがうれしかった。
 千鶴は立ち上がると、甚右衛門のそばへ行って抱きしめた。甚右衛門は慌てたが、すぐに千鶴を抱き返した。
「必ず無事にんて来るんぞ」
 うんとうなずいた千鶴は、今度はトミに抱きついた。
「おばあちゃんも、だんだん」
 初めて千鶴と抱き合ったことに感激したのか、トミはわんわん泣いた。横で幸子も泣いている。
 うら木戸きどの辺りが騒々しくなった。茂七たちが銭湯から戻って来たようだ。
 トミは声を殺したが、それでも涙は止まらない。甚右衛門も黙ったまま涙を浮かべている。千鶴も幸子も泣いていた。
 ようやく家族が素直に一つになれた。そのことをみんながみしめていた。静かな部屋の中は喜びに満ちている。