日露戦争で日本と戦ったロシアは帝国で、皇帝ニコライ2世が支配していました。
日露戦争に敗北し、極東進出を断念せざるを得なくなったロシアは、ヨーロッパ政策に集中することになり、イギリス・フランスと手を結びます。
大正3年(1914年)に第一次世界大戦が始まると、ロシア帝国は連合国側につきますが、ドイツとの戦いに敗北します。
そこに加えて、国内では鬱積した国民の不満が爆発し、全土でストライキが起こり、戦争反対と専制君主制反対の声が高まりました。
その結果、ニコライ2世は皇帝位を退くことになりますが、後継者がおらず、ここにロシア帝国は終焉します。
支配者がいなくなったロシアでは、権力争いが起こります。
大正6年(1917年)には、レーニンが率いるグループが政権を治め、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が樹立します。
ちなみにソビエトと言うのは、労働者・農民・兵士によって構成された評議会のことです。
このレーニンが率いるグループは、大正7年(1918年)にロシア共産党という名前になりました。
そして、共産党以外の政党を禁止して、一党独裁を行ったのです。
大正11年(1922年)、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は、他の三つのソビエト共和国と統合され、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。
大正13年(1924年)にレーニンは亡くなり、スターリンが後継者となりますが、レーニンもスターリンも、逆らう者は皆殺しにするという大粛正と行いました。
それによって、2000万人以上が命を失ったとされています。
千鶴の父ミハイルたちが日本へ逃げて来た背景には、このような事情があったのです。
このソ連と日本の関係ですが、大正14年(1925年)1月に、日ソ基本条約が調印され、日本はソ連を正式に承認し、両国の国交が樹立しました。批准は2月25日です。