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バラックとロシア人墓地 その1

日露戦争時のロシア兵捕虜収容所施設のうち、バラックと呼ばれる仮設病棟が、城山の北にある城北練兵場の西半分に建設されました。
ここには多くの傷病兵が収容されていました。

※バラックと松山城。手前は田んぼと民家。民家の向こうに道路があり、手前に線路があります。
※北東の方角から眺めたバラック

バラックが建設されたのは、現在の松山赤十字病院、愛媛大学城北キャンパスと松山大学文京キャンパス、松山市立東中学校周辺です。全部で26棟の病棟がありました。

※バラック。向こうに見える山は城山。
※バラックへ運ばれた負傷兵たち
※バラックに収容されている傷病兵たち(下士卒)
※傷病兵たちと看護婦たち
※日本人医師に診てもらうロシア兵
※ロシア兵の手術をしているところ
患者を移動させる看護婦とロシア兵

笑顔を絶やさず献身的に働く看護婦たちには、ロシア兵全員が感謝していたと言います。

中には幸子とミハイルのように、恋に落ちた者もいたようです。

※病室での食事(下士卒以下)
※ロシア兵は炊事も自分たちでやりました

同じロシア軍の者でも、位の高い将校と、位が低い下士卒とでは、扱いが違ったようです。

※くつろぐ将校。右に食べかけのパンと飲み物が見えます。
※看護婦のマッサージを受けるメルチャンスキー大佐
※将校たちの会食

将校と比べると、下士卒たちは窮屈な想いをしていたと思います。

それでも看護婦たちの笑顔は、彼らを癒やしてくれたようです。

※楽器を楽しむ捕虜兵たち
※バラック敷地内の捕虜兵たち
※日光浴をするロシア兵たち
※カルタ遊びをするロシア兵たち
※祈祷室で祈りを捧げるロシア兵たち
※日本人に散髪をしてもらっているロシア兵
※ロシア兵たちと看護婦たち

どんなに看護婦たちが尽くしても、どんなに医師たちががんばっても、亡くなる命はあるものです。

バラックでも治療や看護の甲斐なく、無念の死を迎えた捕虜兵たちがいました。

彼らはバラックの北にある丘の上の墓地に埋葬されました。

それがロシア人墓地です。