日露戦争時のロシア兵捕虜収容所施設のうち、バラックと呼ばれる仮設病棟が、城山の北にある城北練兵場の西半分に建設されました。
ここには多くの傷病兵が収容されていました。
バラックが建設されたのは、現在の松山赤十字病院、愛媛大学城北キャンパスと松山大学文京キャンパス、松山市立東中学校周辺です。全部で26棟の病棟がありました。
笑顔を絶やさず献身的に働く看護婦たちには、ロシア兵全員が感謝していたと言います。
中には幸子とミハイルのように、恋に落ちた者もいたようです。
同じロシア軍の者でも、位の高い将校と、位が低い下士卒とでは、扱いが違ったようです。
将校と比べると、下士卒たちは窮屈な想いをしていたと思います。
それでも看護婦たちの笑顔は、彼らを癒やしてくれたようです。
どんなに看護婦たちが尽くしても、どんなに医師たちががんばっても、亡くなる命はあるものです。
バラックでも治療や看護の甲斐なく、無念の死を迎えた捕虜兵たちがいました。
彼らはバラックの北にある丘の上の墓地に埋葬されました。
それがロシア人墓地です。