![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/06/34b60376e314a4228b2bb1f176f0f581.jpg)
松山城への登城道は、かつては三つでした。
一つは城主の館があった二ノ丸から登る道です。
もう一つは城山の東にある東雲神社の脇から登る道です。
正規の道は城主が利用する二ノ丸からの登り道で、東雲神社から登る道は、城の建築の際に物資を運搬するためのものだったそうです。
三つ目は城山の北を護る北曲輪から登る道です。
この道は本丸西の乾門へつながりますが、現在はありません。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/04/816129a96770edd8fa3343474db228e6.jpg)
北曲輪は明治になると獄舎として使われていました。
その後、監獄で感染症が生じた時の、隔離施設などに利用されていましたが、大正10年にここに第六尋常小学校を設置することになり、櫓は解体されました。
昭和3年に第六尋常小学校が移転すると、石垣も徐々に解体されて、現在は北曲輪の面影はなく、ここからの登城道もわからなくなっています。
第六尋常小学校があった頃は、ここから城山を登る道は、まだ残っていたかもしれません。
しかし、監獄などが設置されていた間、この道が使われていなかったならば、草木が伸びて、どこが道だったのかが、よくわからなくなっていたことでしょう。
仮に道が判別できたとしても、監獄や小学校が設置されていたのでは、一般の人間が使える登城道ではなかったと思われます。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/eb01954700f27fd818eabf4973f1f1c7.jpg)
現在は四つの登城道があります。
元々あった二ノ丸から登る道は、黒門口登城道と呼ばれています。
また、東雲神社の脇から登る道は、東雲口登城道と呼ばれています。
本来の登り道は黒門口登城道なのですが、今では東雲口登城道が城山の玄関のようになっていて、ロープウェイやリフトも作られています。
これら二本の登城道の他に、県庁裏登城道と古町口登城道がありますが、この二つの登城道は、明治43年に本丸が松山公園として開園する時に造られたものです。
県庁裏登城道は、その名前のとおり愛媛県庁の裏手から登る道です。
今はそこから城山の西側の縁にそって、北へ抜ける道路がありますが、大正時代にはそんな道はありませんでした。
三の丸の東の堀が二ノ丸に突き当たるように伸びていて、お堀から西へは行けなかったのです。
つまり、県庁の西側と東の堀の間にある道は、県庁裏登城道へ向かうためだけの道だったと言えます。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/ededed4b6d0e5a5e4c18855af7c2dd4d.jpg)
千鶴たちが特高警察に捕まって、引き込まれたのはこの道です。
夜に城山へ登る者はいませんから、誰にも見られることのない袋小路のような道だったのですね。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/2848683d6ac53fb91359ba6c36e02747.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/81a701350f315dde53f05e6dee2ad6fe.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/6ff643338dfc1430eacca6e2577db0fb.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/62e0131758828fe999db42d375febdb3.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/40844d59ba40d111c9e03a76ce0e2bf6.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/08f3841d155335003454c62b4ee364b1.jpg)
上の写真は現在のものですが、大正時代はこの道はお堀でした。
この道はお堀を埋め立てて造られたのですね。
当時の道は歩道ぐらいのものだったのではないでしょうか。
人力車が通るには、少し窮屈だったかもしれません。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/26784656b696945bec445aa58e7ecc73.jpg)
古町口登城道は、札の辻から城山へ突き当たった所の、少し北側から始まります。
大正時代は城山の西の麓にあった、愛媛県師範学校の附属小学校と、第二尋常小学校に挟まれるようにして、この登城道の入り口がありました。
紙屋町から城山に登るには、この登城道が一番近い道です。
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/5a902ba929c7559601a950d144e426cf.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/86d0abdca9f23eae9dbcce3c910ca198.jpg)
![](https://windearthsun.com/wp-content/uploads/2022/03/7525a554c24dd27afe92ad1897aba644.jpg)