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不動明王

不動明王の「不動」の意味は、揺るがない菩提心ぼだいしんのことです。

ちなみに菩提心とは、悟りを求める心のことです。

また明王の「明」は、智慧ちえの光明のことです。

仏教では煩悩ぼんのうを闇にたとえているので、それを照らして消し去る、智慧の光ということなのですね。

密教には三輪身さんりんじんという考え方があります。

三輪身とは、諸仏諸尊を自性じしょう輪身、正法しょうぼう輪身、教令きょうりょう輪身の3グループに分けたものです。

自性輪身とは、仏法の真理や智慧そのもので、如来にょらいがこれに該当します。

正法輪身は衆生しゅじょうに対して、仏法の教え(正法)を説く菩薩ぼさつのことです。
衆生というと、一般の人々のことのように思えますが、人間だけではなく、一切の生きとし生けるものの意味です。

三つ目の教令輪身は、煩悩にとらわれて苦しみながらも、如来の教えに従わない者たちや、穏やかに諭しても聞く耳を持たない者たちを、力づくでも正しい道に導くものです。

明王はここに属しますが、明王には五体あり、不動明王はその中心に位置します。

不動明王は、右手に剣を持ち、左手にさくというひもを持っています。

剣は智慧の象徴で、煩悩と災難を断ち切ってくれます。

索は魔を捕らえたり、仏の教えに従わない者を縛って、仏法の世界へ導きます。

背中の炎は迦楼羅炎かるらえんと呼ばれ、煩悩や魔を焼く智慧の炎です。

不動明王は宇宙の真理である、大日如来の化身とされており、何者も置いてけぼりにされることなく、仏の世界へ導かれるということを示しています。

表面的には、逆らう者を屈服させて、強引に引っ張って行くように見えますが、本当はそうではないのでしょう。

私たち人間が、どんなに自然をコントロールしようとしても、自分自身が自然の一部であり、自然の法則から逃れることができないのと同じです。

宇宙の真理からは、どんなに抗ったところで、抗いきれる者はいない、ということの象徴が、不動明王のように思います。

魔も煩悩も、智慧の炎によって焼かれるということは、逆に言えば、知性の低さが、魔や煩悩という形で、表れているということでしょう。

高い知性を持つことで、人間は本来の慈悲深い存在になれるし、誰もが必ずそうなるのが自然の摂理であると、不動明王は教えているように思えます。