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物語の舞台と時代背景

 ※大正時代の松山の街並みと城山。

「野菊のかんざし」は、大正時代末期の松山が舞台です。

主人公の少女千鶴ちづは、明治時代末頃に、日本人女性とロシア人男性の間に産まれました。

明治には日露戦争があり、松山は捕虜収容所第一号として、 多くのロシア兵捕虜が連行されて来ました。

当時の日本は西欧の列強諸国に恥じないよう、捕虜の取り扱いに関する国際条約を、厳しく守っていたと言います。

そのため、捕虜兵たちは比較的自由にさせてもらえたようですが、その自由度は将校かどうかで、大きく違っていたそうです。

千鶴の母は看護婦で、ロシア兵の怪我や病気の世話をしていましたが、そうしているうちに、ロシア兵の一人と恋に落ち、千鶴を身籠もります。

実際、看護婦とロシア兵の恋物語は存在しており、その記録も残されています。

また、松山城二之丸跡の井戸から、ロシア兵と日本女性のものと思われる名前が、刻まれたロシアの金貨が発見されています。

資料を見て、この話を思いついたわけではありませんが、実際にそんな事があったのだと知り、とても興味深く思いました。

 ※高縄山から見下ろした北条。中央左の小島が鹿島で、中央右の川が立岩川。


「野菊のかんざし」には、準主役と言える青年、佐伯忠之さえきただゆきが登場します。

忠之が暮らすのは、松山の北にある風寄かぜよせ地方の名波村ななみむらという、架空の土地です。
モデルとなっているのは、松山北部の風早かざはや地方にある北条ほうじょうという所です。

今と違って、昔の人の移動手段は、基本的に徒歩でした。
どんなに遠い所でも、歩いて行くよりほかなかったのです。

しかし明治になると、人力車や馬車が利用されるようになり、やがて乗合バスや鉄道などの、交通手段が登場します。

それでも、お金がかかることですから、一般の人たちが今のように、当たり前に使っていたわけではありません。

気軽に旅行にでかける風習もなかったでしょうから、商売をする人でなければ、そんなに頻繁には遠方へ移動することはなかったと思います。

また、よほど急ぐとか、かなり遠いなどの理由がなければ、基本的に庶民の移動は徒歩だったでしょう。
当然ですが、四国遍路も全部徒歩です。

この物語が始まるのは、関東大震災が起こって間もない頃です。
松山からは、遠く離れた土地での出来事ですが、物語にもその影を落としています。