千鶴と井上教諭が内曲輪へ入ったのは、内門の方からでした。
これが内門から眺めた内曲輪です。
さらに中に入ると、次のような感じです。
上の写真の正面に見えるのは小天守です。
左手に大天守の石垣と、筋鉄門が見えます。
右手にちらりと見えるのは、南隅櫓です。
小天守と南隅櫓です。
南隅櫓の右にあるのは十間廊下と呼ばれる多聞櫓です。
中央が天守玄関です。
ここが城主が大天守へ出入りする所です。
その向こうに見えるのが、十間廊下と北隅櫓。
手前にあるのは内門です。
内門です。
筋鉄門の方から見ると、こんな感じです。
左から十間廊下と北隅櫓、天守玄関と内門及び内門櫓です。
内門櫓は大天守へつながる通路となった渡り櫓です。
同じ所から少し左へ振りました。
南隅櫓と十間廊下と北隅櫓が見えます。
このちょうど向こう側が、古町口登城道を登って来て、乾門から本丸に出た所です。
内曲輪全体を大天守から見たところです。
向こうに見えているのが乾櫓です。
南隅櫓から乾門を見下ろしたところです。
正面に見えるのが乾櫓と乾門及び乾門東続櫓。
少し手間にあるのは、野原櫓です。
千鶴たちはここへ登って来たのです。
十間廊下側から内曲輪を見ると、こんな感じです。
大天守と内門が見えます。
内門の上の櫓は、大天守へ繋がる通路になっています。
大天守の右側にある門が筋鉄門です。
大天守の石垣の左下に、四角い穴が開いていますね。
現在はここを出入り口として使っていますが、本来の出入り口はこではありません。
ここは穴蔵と呼ばれる、米や穀物の備蓄庫でした。
中には、大天守一階へ上がる階段があります。
位が高くない武将が、大天守に出入りする時には、ここが使われたのかもしれません。
筋鉄門の上にも、大天守と小天守を繋ぐ櫓があります。
筋鉄門です。
こちらは内門と天守玄関です。
天守玄関の屋根は、唐破風と呼ばれる格調高い形をしています。
城主が出入りする玄関に、相応しいものとして造られたのでしょう。
天守玄関です。
階段を上がった所が、通路を兼ねた玄関多聞櫓です。